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武術の年表
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器械技法
功法
諺訣
年表
武術流派表
「
60万年前〜BC1700
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BC1700〜BC771
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BC770〜BC221
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BC221〜AD265
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265〜589
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581〜960
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960〜1279
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947〜1368
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1368〜1644
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1616〜1911
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1912〜1949
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「60万年前〜BC1700」 原始社会時期、夏期
・原始人の群が協力して、鶏や獣と格闘して捕らえる、原始人達の間で食物や領地の奪い合い、
また、原始時代末期には部族間で戦争が起こる、それらが原始武術の始まりである。
・中国猿人の遺跡で「石錘」「石刀」など原始石器が発見されている。
・武舞(武術の舞)を行う巫術(巫女が行う舞)と図騰(トーテムポール)などを崇拝する、原始宗教が現れる。
・3万年前に弓矢が発明される。
・1万年前に(新石器時代)石製の兵器(武器)が多数出現する、石槍、石戈、石斧、石铲、石鎚などである。
・伝説の「蚩尤」は戦争の神と呼ばれ、「五兵」(戈、殳、戟、酋矛、夷矛)を発明した。
「BC1700〜BC771」 商、西周時期
・商、周の時代には銅矛、銅戈、銅剣、甲盾、千盾などの銅製の兵器(武器)が出現する。
・周の時代には銅の戟、銅殳などの兵器が現れる。
・周代の古い書籍の中には「拳勇・(武芸)」や「搏・(徒手搏闘)」などの武術の言葉が現れる。
・武舞の芸術性が実用性から分かれて発展していく、ただし依然として実用性武術が主要な地位を占める。
武舞の動作の組み合わせは、武術套路の原型となる。
・武術教育は重要視される、周代には「六芸教育」が始まる、六芸とは礼、楽、射、御、書、教で前の四芸には
武術の内容が沢山含まれている。
「BC770〜BC221」 春秋戦国時期
・この時代には戦争が頻繁に起こり、軍事のための武術を発展進化を促進させた。戦い方の方法は、騎馬と歩兵
中心から、車戦が主に車戦と歩兵併用に移行していく。
・剣での戦いが広まり流行していく。【庄子】では「説剣」が伝わってる。【呉越春秋】に載っている「越女論
剣」の故事に、剣の基本原理を詳しくのべている。 ・【六韬】【呉子兵法】【司馬法】【孫子兵法】【孫膑兵
法】等兵法に付いて書かれた本が世に出てくる。
・【易教】の中の【易傳】では、陰陽、五行、八卦この三つが有機的に結合させている、それが武術の理論と技
術の発展していくため大きく影響している。
「BC221〜AD265」 秦、漢、三国時期
・刀が剣に取って代わり主要な短兵器になる。戟、矛は主要な長兵器となる。また弩が発展していく。
・「角抵」が盛んになる、また別名で「相撲」というなまえがここで使われている。
・「武芸」と言う名前が現れる。今の「武術」の名前に相当する。
・【兵技巧】【手搏】【剣道】などの武術の著作が本になる(現在ではその多くが散逸している)。
・漢刀、刀剣の術、角抵が東に向い日本に伝わった。
「265〜589」 両晋南北朝時期
・南朝宗朝(420〜479)「武術」の言葉が初めて出現したのが顔延年【皇太子释奠会】の詩中に「偃閉武術、阐
揚文令」とある。
・495年(北魏孝文帝太和十九年)、仏陀の禅師が河南嵩山に少林寺を建立する。少林武芸は棍法を特徴とする。
・532〜534年(北魏孝武帝時)、弓矢(射箭銀杯賽)の大会が初めて開かれる
・550年(南朝梁簡文帝二年)梁簡文帝編撰【馬槊普】
「581〜960」 隋、唐、五代十国時期
・槍が戦場での主要な武器に成る、歩兵、騎兵とも全て槍が主要な武器になる。
・618年(唐高祖武徳三年)少林寺の僧が李世民を助け王世充の軍を撃退し、唐朝を建国する。
・702年(武則天長安二年)武挙制(武官選考試験)が作られる。
「960〜1279」 両宋時期
・1043年(仁宗慶歴三年)武術の学校が開設され、3ヶ月で閉鎖される。1072年(神宗熙寧五年)に再び開かれる。
・1044年(仁宗慶暦四年)【歩経総要】の本が出来る。
・1079年(神宗元豊二年)軍事訓練法典【教法格并図像】が公布される。
・1080年(神宗元豊三年)武挙の必読教典【歩経七書】が公布される。
・「弓箭社」「棍子社」「相撲社」「川弩社」など民間の武術結社が沢山現れる。
・南宋華岳【翠微北征録】の七巻【弓制】で最も早く「十八般武芸」に付いて触れられている。
軍隊の武器三十六余りより、弓を首(最高)とする。武芸の十八の中より弓が第一とする。
「947〜1368」 遼、金、西夏、元時期
・契丹、女真、党項、蒙古などの諸族は軍事を重要視し、馬術と弓術に通じた「射柳」(金代の祭りで、馬に乗って
弓を射る)を武術の訓練として行う。
・徒手の拳撃、搏斗、と共に角抵(摔跤)が武芸の項目として流行する。元代には角抵に雑拳撃が混じり、擒拿の動
作、名前は「白打」と呼ばれ、「十八般武芸」の中に含まれる。
・元代「杂剧」(元代に北方で発展した劇)の中では武術の劇は少なからず有った【太和正音譜】中の十二種類の杂
剧の一つに「钹刀赶棒」があり、これは武打劇である。
「1368〜1644」 明代
・火器(鉄砲・火槍・大砲など火薬を用いた武器)が軍隊の中で通常に用いられるようになってくる、立たし戦闘の
主要な兵器はまだ冷器(刀・槍・大刀など通常の武術の武器)がしめていた。
・1522〜1566年(嘉慶年間)倭寇に対抗した名将、唐順之(1507〜1560)の著【武編】の書が作られる。この書
は明代以前の格武術器械と各派の拳術の練習法を紹介した者である。
・1562年(嘉靖四十一年)民族の英雄、軍事家の威継光(1528〜1587)の著【紀效新書】(18巻)が刊行される。
武術に関連する章には【長兵】【短兵】【射法】【拳経】等がある。
・1565年(嘉靖四十四年)倭寇に対抗した名将、兪大猷(1503〜1580)の著【正気堂集】が刊行された、【剣経】
【射方】【棍法】等が記載されている。
・1591年(万歴辛卯)何良臣著【陣紀】刻本、全部で4巻、66編すべて練兵の法が記述されている。
・1614年(万歴四十二年)鄭若曾著【江南経略】刊行。この書は8巻ある。武術の器械と拳術の流派が記されている。
当時流行していた拳法11家、棍法31家、槍法16家、刀法15家、剣法6家、等の諸流派が記されている。
・1621年(天啓元年)程宗猷(1561〜?)が編纂する【耕余剰技】が刊行される、中に【少林棍法阐宗】3巻【単
刀法選】【長槍法選】と【撅張心法】格1巻が含まれる。
・1631年(崇禎四年)王来聘が「武挙」試験で主席合格となる。
・茅元儀(1594〜1640)が【武備志】204巻を著す。その中の9巻で弓、弩、剣、钯、牌、筅、棍、拳等の武芸
を紹介している。
・姫際可(字龍峰、1602〜1680)は槍理論、拳の理論を編成して「心意六合拳」を作る。
・明代末期拳術には「内家」と「外家」の説が有った。黄宗義【王征南墓志銘】には少林寺「主に人と組み討ちをす
る」為に外家、それに対して内家は「静を以て動を制する」「主に敵を防ぐ」とある。宋代の張三豊の内家拳の説
を合わせて提起している。
・少林武術は棍法を以て世に知られる。少林寺の僧は抗倭(倭寇に対抗した戦い)の戦場で偉大な働きをした。
「1616〜1911」 清代
・鴉片戦争以降、清軍の火器装備は日々多くなる、軍隊の中で武術の役割は衰退していく、武術は軍隊の技術の中か
ら無くなっていく。
・白蓮教、清水教、天理教(八卦教)などが太平天国革命(太平天国の乱)を起こし義和団が反帝愛国運動をすすめ
たため武術が普及していく。
・武術の健康面での効果が一般に広まり、太極拳、八卦掌などの武術が流行する、また少林拳等の伝統拳術も身体を
強くすることと健康のため広まり、武術の体育化が進んでいく。
・多くの拳種の流派体系化されていき、拳種の数は百を超える。
・黄百家(1643〜?)の書いた【内家拳法】に内家拳の源流、練手法、練歩法、内家拳の套路などが書かれている。
・呉殳著【手臂録】4巻及び附巻上下。
・【六合拳譜】抄本出現。六合拳伝統技術の研究に重要な資料。
・楊福魁(字露禅 1799〜1872)陳式老架太極拳を改め、楊氏太極拳を編纂する。
・武禹襄(1912〜1880)陳式老架太極拳と新架太極拳を改め、武式太極拳を編纂する。
・董海川(1813?〜1882)八卦掌を編纂する。
・李亦畲(1832〜1892)が【太極拳譜】を編纂する、全部で16編。首編は王宗岳の「太極拳論」でその他の各編
は武禹襄と李亦畲の二人による。太極拳をする者に教典として尊ばれる。
・1885年(光緒十一年)李鴻章が天津軍備学校を設立する。その後各省で相次いで専門の軍事関係の学校が設立され
る、宋代から始まった官営の武術機関は消失した。
・1898年(光緒二十四年)康有為は武挙制度の廃止を主張する。
・1909年 霍元甲(1869〜1909)が上海で精武体操学校を設立する。
・1911年 精武体操学校を精武体操会に改名する
・1911年 北京体育研究社、天津中華武術会が設立される。
・1911〜1914年 馬良などの編纂で、武術教材の【中華新武術】を改訂した。摔跤、拳脚、棍術、剣術の四科に分
けられる。
「1912〜1949」 民国時期
・武術理論の著書が大量に現れる。
陳鑫(1849〜1929)著 【陳式太極拳図説】
孫福全(孫禄堂1861〜1933)著 【八卦掌学】
唐豪(1897〜1959)著 【少林武当考】【内家拳研究】【中国武芸図籍考】
姜容樵(1891〜1974)著 【八卦掌】【太極拳術講義】【秘宗拳】【青萍剣】【当代武人奇侠伝】等
「1912」 民国初年
・孫福全(孫禄堂1861〜1933)が孫式太極拳を編纂創作する。
「1914」
・馬良が済南において武術伝習所を造る。
「1915」
・民国教育部により、中国伝統武術を学校の体育課程に入る。
「1916」
・精武体操会が名前を変更して精武体育会になる。
「1920」
・北京体育研究社付設体育講習所が、北京体育学校に名前が変更になる。
「1921」
・呉鑑泉(1870〜1942)呉式太極拳を作る。
「1923」
・4月中華全国武術運動会上海で挙行される、上海、天津、北京などの地から、20チーム以上の選手団が参加する。
これは中国体育史上第一回目の武術単独の運動会となる。
「1924」
・民国第三回全国運動会で初めて武術の套路表演の競技が行われる。
「1928」
・3月、国術研究館が南京に設立される、張之江(1882〜1966)が館長に就任。
・6月、国術研究館が正式名中央国術館と呼ばれる。
・10月15〜20日、第一回国術試験が南京で挙行される。中央国術館と17の省と市で333名の受験者が参加する。
「1929」
・国民政府の通達で各クラスの行政区に国術館が設立され、1933年には25の省で国術館が立てられる。
・中央国術館が【国術週刊】を創刊する。
・福建永春が「闽南国団」を組織してシンガポール、マレーシア、などの地を回り表演する。
「1933」
・中央国術館が南京に体育伝習所を建設、1936年に国立国術体育専科学校に名称変更。
・中央国術館が初中、高中、大学の三級武術教材を作る。
・10月20から30日、第二次全国国術試験を南京で挙行、21の省と市438名が参加。
「1934」
・1月、中央国術館教材編成委員会が、初級と高中級の教材を編成して、1944年から普通武術と特殊武術の教材49種
類を作り始めるが、抗日戦争の激化に伴い刊行は出来なかった。
「1936」
・1〜4年、中央国術館が国立国術体育専科学校の組織で、南洋旅行団を作り、シンガポール、マレーシアなどの地で65
回の表演を行う。
・ 7〜8月、第11回ドイツベルリンでオリンピックか開かれる。中国のオリンピック代表選手に、由郝銘、張文広、温
敬銘、鄭杯賢、金石生、張尓鼎、寇運興、翟涟源(女)、傳叔云(女)、劉玉華(女)、顧舜華など11人の国術表演
隊が随行して、ベルリン、ハンブルグ、フランクフルト、ミュンヘンなどの地で表演を行い、世界のスポーツ界に中
国武術の風采を示す。それを見た観客から熱烈な賞賛を受ける。
「1941」
・「国立国術体育専科学校」は改名し「国立国術体育師範専科学校」になる。
「1948」
・中央国術館が解散を宣言
「1949」〜(中華人民共和国時期)
・10月、中華人民共和国政務院が中華体育総会を批准する。
「1950」
・中華全国体育総会が北京で武術工作座談会を開き、武術の発展を提唱し、武術運動の発展を新中国の体育事業の議事
とする。
「1952」
・国家体育運動委員会が成立後、武術を普及項目とする、合わせて民族形式体育研究会を設置する。
「かすを取り除き精華を取り入れ、百花を咲かせ、古い物の良いところを新しい物に生かす」と方針をとる。
民族形式の武術を掘り起こし整理していき継続的に押し進める。
・6月、中央人民政府主席毛沢東が、第二回中華全国体育総会において「体育運動の発展、人民の体質増強」の題字を
書き、合わせて体操、球技類、ランニング、登山、水泳、太極拳など各種の運動をするように呼びかける。
「1953」
・11月8〜12日、天津市において全国民族形式体育表演と競技大会が行われた。武術はこの大会の主要な表演項目の
一つであった。145名の選手が拳術、器械、対練、散手、短兵など322項目の表演に参加する。
大会期間中、政務院副総理兼国家体育委員主任賀龍が、武術運動の発展が重要と主張、武術の発掘、整理、向上を大々
的に広めるように提起。
「1954」
・中央体育学院(北京体育大学の前身)が武術隊を作る(1955年解散)
「1955」
・国家体育運動委員会が武術科を設立(後に武術処と改称)
「1956」
・2月、中華人民共和国体育運動委員会武術司武術科が「簡化太極拳」を編纂して本を作る。
・3月9日、第一次全国人民代表大会、において委員長の劉少奇が「武術、気功などの伝統体育項目の改善を強く研究し
各種の方法、伝播し推し進める」
・4月28日、【中華人民共和国運動競賽制度の暫定規定(草案)】が配布、実施される、武術の表演項目が入る。
・11月1〜7日、北京で12単位の武術表演大会が行われる。この大会の最初に方法、運動員の技術水準の高低をより
分け、武術競技の規範の方向を前進させる。
「1957」
・6月16-21日、全国武術表演大会が北京で挙行、27の省と自治区、直轄地183名の男女の選手が参加する。
「1958」
・8月5-23日、国家体育委員会が山東省青島市に全国体育院の責任者を招へいし座談会を開く、体育院において武術
を必修或いは選択課程として採用するように要望。閉会後北京体育学院、上海体育学院が相次いで武術の課程を設立。
・9月7-16日、全国武術運動会が北京で挙行、27の省と自治区、、直轄地260名の男女の選手が参加する。
・9月19-22日、中国武術協会成立、李夢華任主席になる。
「1959」
・中国武術協会の起草で「武術競賽規則」が出来、国家体育委員会が批准し配布施工される。
・3月22〜27日、全国青少年武術運動会が北京で挙行される、25省、自治区、直轄地197名の選手が参加する。
・9月14〜10月3日、武術が第一回全国運動会の競技項目になる。「武術競賽規則」が正式採用される。25の省、
自治区、直轄地172名の男女の選手が競技と表演に参加する。
「1960」
・中国青年武術隊が中国体育代表団に随行してチェコスロバキアで表演をおこなう。
道年末、周恩来総理が中国代表団を率いてビルマ(ミャンマー)を訪問、中国武術隊が随行して表演をして、熱烈な
歓迎を受ける。
・9月18〜25日、全国武術運動大会が河南省で挙行される。23の省、自治区、直轄地、192名の男女の運動員
が参加。
「1961」
・教育部の組織を修正して【中小学体育教学大綱】が作られる、武術を取り入れる中、小学の体育教学大綱として用い
られる、それにより学校の武術教育の機構が正常に働き出す。
・国家体育委員会の編纂で【武術】が全国体育学院本科の教材となり、体育院の武術教学が次第にシステム化される。
「1962」
・11月、国家体育運動局が【武術競賽規定套路】を編纂する。具体的な内容は「甲組男子長拳、甲組女子長拳、甲組
刀術、甲組剣術、甲組槍術、甲組棍術」などである。
「1963」
・国家体育運動局が青少年が独学で学べる「乙組長拳、刀術、剣術、槍術、棍術」の五つの套路が編纂される。
・北京体育学院が武術専門の研究生を招くことを開始した。
・上海で10月15〜19日、15単位の武術及び弓矢の競技会が行われる。
「1964」
・山東省済南志で9月〜16日、19単位の武術及び弓矢の競技会が行われる。
「1965」
・北京市において9月11〜28日。第二回全国運動会が行われる。17の武術の代表隊から、男女78名の選手で2
60もの表演が行われる。
「1972」
・5月、安徽省合肥市にて全国武術招待試合が挙行される。
・11月、山東省済南市にて全国武術表演大会が挙行される、21の省、自治区、直轄地の体育学院の代表隊360名
の男女の選手が参加する。
「1974」
・6月3日〜7月24日郭雷団長による中国武術代表団38名がアメリカ、メキシコなど8都市で12回の表演を行う。
アメリカ大統領リチャードニクソンがホワイトハウスにて代表団と接見し武術の表演を見る。
・6月5〜17日、日本の佐藤隆之助団長による太極拳代表団一行16名が北京、上海、抗洲、広州などの都市を訪問
する。
・8月23〜30日、陜西省西安市で全国武術競技大会が挙行される、25の省、自治区、直轄地及び体育学院の代表
隊計300名あまりの男女の選手が参加。
「1975」
・2月2日〜3月10日、団長宗道臣による日本の少林寺拳法代表団が訪中、北京と上海で交流表演を行う。
・9月13〜25日、第三回全国運動会が北京で挙行される、武術の競技種目が行われる。20以上の省、自治区、直
轄地の380名の男女の選手が参加する。
「1976」
・8月27日〜9月7日、全国武術報告表演大会が黒竜江省ハルピンで行われる、25の省、自治区、直轄市の男女の
選手が参加する。
「1977」
・8月8日〜9月12日、全国武術競技会が内蒙古自治区臨河市で挙行される、27の省、自治区、直轄市378名の
男女の選手が参加
「1978」
・国家体育委員会が全国体育院の教材「武術1〜4」を編集。
・10月15〜29日、全国武術競技会が湖南省湘潭市で挙行、29の代表隊430名の男女選手が参加する。
「1979」
・国家体育委員会が改訂された【武術競賽規則】を公布する。
・1月、国家体育委員会が【武術遺産の整理と掘り起こし】を13の省と区、市など多方面で実地調査する。
・3月、国家体育委員会が淅江省体委、北京体委、武漢体学院の三カ所で武術散手項目を試験的に試み、そこで得た経
験を逐次広める。
・5月、第一回武術観摩交流大会が広西壮族自治区南寧市で挙行される、284人の男女の選手が各種の武術、510
項目の武術を表演する。
・9月17〜28日、第四回全国運動会が河北省石家庄市で挙行。28の省、自治区、直轄市336名の男女の選手が
参加する。
「1980」
・全国武術観摩交流大会が山西省太原市で挙行。
・5月、北京体育学院、武漢体育学院が太原で交流座談会を持ち、武術散手の発展を促進させることを提言する。
・10月12〜23日、全国武術表演賽が云南省昆明市で挙行も各省、自治区、直轄市の21代表隊が参加する。
「1981」
・5月、全国武術観摩交流大会が遼寧省沈陽市で挙行、北京体育学院隊と武漢体育学院隊が公開競技として、初めての
散手の対抗戦を行う。
・10月18〜29日、全国武術表演大会を福建省福州市で挙行し、24の省、自治区、直轄市、体育学院代表隊が参
加する。
「1982」
・上海同済大学と北京大学が率先して武術協会を設立、全国各地の高等院校などがつづいて武術協会を設立していく。
・全国武術観摩交流大会を陜西省西安市で挙行。
・9月27〜29日、江蘇省主催による中国武術国際友好表演大会が南京市で挙行される。香港武術健身協会、アメリ
カ全米中国武術協会、カナダ武術協会、フィリピン光漢国術館、江蘇武術館など5カ国の国と地域の武術団体、41
名の選手が参加する。
・10月18〜28日、全国武術表演大会が淅江省抗洲市で挙行される。
・11月、中国武術協会主催で人民体育出版社から雑誌【中華武術】を北京で出版する。
・11月、全国第一回武術対抗項目 散打、太極推手の表演大会が北京で挙行された。
・12月2〜11日、中華人民共和国成立以来第一回全国武術工作会議が北京で開催。チベット、台湾を除く28の省、
区、市の367人が参加して会議する。大会には【団結を立ち上げ、共同で奮闘努力し、武術の新局面を創始する】こ
とを報告、併せて武術散手問題を正式に提出、要求は「積極、慎重、妥当」の精神を発展させる。また「積極的に武
術を世界に向けて推進する」事を提出する。
「1983」
・国家体育委員会の組織が全国体育院(系)【武術】通用教材(分上、下両冊)を修正する。
・全国武術観摩交流大会が江西省南昌市で挙行される
・北京体育学院で武術部が成立(後に武術系に変わる)その後上海体育学院、武漢体育学院、成都体育学院などで武術
系が復帰または成立されていく。新入生募集の範囲を段階的に拡大してゆき、研究生、本科生、専科生、通信教育生、
教練員研修班および中外の武術員の短期訓練など、初歩から高度なレベルに到る教育体制を作っていった。
・5月、全国散打・太極推手競技会が江蘇の南京市で挙行される。
・5月19〜23日、国家体育委員会「武術発掘整理指導」小組が江西省南昌市で29の省、自治区、直轄市、鉄道体
育協会及び6カ所の体育学校参加の会議を招集して、全国武術発掘整理作業会議を開く。
・6月15〜16日、全国武術表演大会が河南省鄭州市で挙行される。
・9月19〜27日、第五回全国運動会が上海で挙行される、29の代表隊189名の男女の選手が参加表演する。
「1984」
・全国武術観摩交流大会が甘粛省蘭州市で挙行される。
・1月、中国武術協会【中華武術】雑誌社などの連名で千名の優秀な武術指導者を選出し発表、併せて北京で表彰する。
・4月22〜25日、湖北省体育委員会によって「国際太極拳(剣)招待試合」が武漢市で挙行され、日本、カナダ、
ガテマラ、シンガポール、アメリカ、香港など18カ国と地区、70余名の選手と中国選手100名の選手が参加表
演し、技術の向上を行う。
・5月、全国散打と太極推手の競技会が山東省潍坊市で挙行。
・6月26日〜7月4日、全国武術発掘、整理の成果の報告会を河北省承徳市で会議を開く、28の省、自治区、直轄
市及び13の体育院161名の代表と41名の列席者が参加する。
・7月、第一回全国体育院武術招待試合が成都市で挙行。ハルピン、沈陽、天津、上海、広州、成都の6カ所の体育院
から43名の選手が参加する。
・8月、全国業余学校武術分区競技会が江蘇省蘇州市、河北省承徳市で分かれて挙行、これは「全国少年武士杯」の前
身である。
・9月、全国太極拳、剣の招待試合が黒竜江省ハルピン市で挙行される、太極拳、剣の単種試合の基礎をうち立てる。
・10月27日〜11月5日、全国武術大会が湖北省武漢市で挙行、27の省、自治区、直轄市の296名の男女選手
が参加。中国武術協会が12カ国の武術組織の責任者を招待し国際武術座談会を開催する。その会で国際武術組織が
成立、1985年に国際武術招待試合を開催について協議し、備忘録に共同でサインする。
・11月17日〜12月14日、中国武術専門家がスイス、イタリー、英国の招待に応じて表演と講学活動を行う。
「1985」
・全国武術観摩交流大会が天津市で挙行される。
・1月、国家体育委員会が第一回【武術運動員技術等級水準を試行】する、運動員を「武英級」「一級武士」「二級武
士」「三級武士」「武童級」の5つの等級に分ける。
・5月、全国散打・太極拳推手大会が山西省太原市で挙行される。
・5月21日〜30日、全国武術大会が寧夏回族自治区銀川市で挙行、28の代表隊、305名の男女の選手が参加す
る。
・8月15日〜19日、第二回全国業余学校武術大会が吉林省長春市で挙行、17の代表隊、142名の男女の選手が
参加する。
・8月22日〜26日、第一回国際招待試合が陜西省西安市で挙行。16の国と地域から100余名の選手が8の試合
項目で参加する。
・8月26日、国際武術連合計画準備委員会が西安にて成立、ベルギー、フィリピン、カナダ、オランダ、英国、香港、
イタリア、日本、モロッコ、マカオ、メキシコ、スペイン、ポーランド、シンガポール、タイ、アメリカそして中国
の17カ国の国家と地域の代表が参加、秘書室を中国に設立、徐才が企画委員会主任に任命される。
・11月、欧州武術連合がイタリアで成立、最初は8カ国が参加する。
「1986」
・国家体育委員会が北京で全国武術訓練座談会を開催、「突出した項目として、攻防技能の強化、動作規格を厳格にす
る」と武術の技術の発展する方向を明確に提出する。
・国家体育委員会が正式に太極拳、剣、推手を一項目として正式に競技項目として、毎年一回試合として行う。
・全国武術観摩交流大会が江蘇省徐州市で挙行される。国家体育委員会が1986年から全国で観摩交流大会を行うこと
を決める。
・3月20日〜4月9日、国家体育委員会が北京で第二回全国武術遺産発掘、整理成果報告会を招集し、成果を発表す
る。併せて発掘調査に貢献したグループ、個人を表彰する。
・5月、第一回欧州武術招待試合がベルギーで挙行、八カ国70名の選手が参加する。中国は拳の審判員が参加する。
・6月20〜25日、全国む武術大会が山東省済南市で挙行、21の省、自治区、直轄市の代表隊327の男女の選手
が参加する。
・8月15〜19日、全国少年「武士杯」の武術大会が吉林省長春市で挙行、17の代表隊142名の男女の選手が参
加する。
・9月、全国散打と太極推手試合が山東省潍坊市で挙行。
・9月22日〜25日、全国精鋭大会が江蘇省南京市で挙行、19の省、自治区、直轄市の代表124名の男女が参加
する。
・11月2〜4日、第二回国際招待試合が天津市で挙行、五大陸20カ国の国と地域145明の男女選手が参加する。
・11月15日、南アメリカ武術功夫総会がアルゼンチンにおいて成立する、アルゼンチン、チリ、ブラジル、ペルー、
ボリビア、ベネズエラ、エクアドル、ウルグアイ、パラグアイの9カ国。
「1987」
・2月10日〜3月10日、中国武術協会、国家体育委員会武術研究院が広東省深圳市で、第一回国際武術教練員の訓
練班の活動を始める。13カ国の国家と地区から47名の学員が参加する。
・3月31日〜4月7日、第一回日中太極拳交流大会が北京で挙行。
・5月24日〜6月3日、国際武術連合会が計画し、中国武術協会が淅江省抗洲市で、第一回国際武術裁判員訓練の活
動を行う、21の国と地域から50名の学員が参加する。
・6月3日〜10日、第六回全国運動会にが正式に武術を協議項目に加わる、金牌を16個設ける。武術予選試合が淅
江省抗洲市にて35の代表隊375名の男女の選手が参加して挙行される。11月20日〜24日広東省莞市で決勝
試合が行われる。
・6月22日〜27日、中国武術協会、国家体育委員会武術研究院など北京連合が「 1987年全国武術学術検討会」を
挙行。これは中国武術史上において第一回の科学検討会が行われる、27の省、市、自治区から372篇の論文が届く
このうち11篇が優秀論文を貰う。
・6月25日、中国体育科学学会武術学会が北京にて成立、徐才が主任委員に任命される。
・8月6日、国家体育委員会が【武術強化に関するの活動を決定】を発布する。
・8月12日〜19日、全国少年武術大会「武士杯」を河南省鄭州市で挙行、24の代表隊189名の男女の選手が参
加する。
・9月20日、国家体委が【国家体委武術工作管理体制の問題を通知】国家体委、訓練競技四司武術処、中国武術協会、
国家体委武術研究院が合併され、国内の武術工作と対外に広める工作を統一管理する。訓練競技四司武術処の職員は
全員武術研究院に転属する。武術研究院は訓練競技処と秘書処を増設する。
・9月25日〜27日、アジア武術連合会が日本の横浜において成立する、主席に徐才が任じられる。第一回アジア武
術選手権大会が26日27日日本の横浜で挙行される、中国、日本、シンガポール、タイ、フィリピン、ネパール、
マレーシア、スリランカ、インドネシア、香港、マカオの11カ国と地区から89名の男女の選手が参加する。
「1988」
・中国武術協会が教材として【少年規定拳】を編纂する。
・5月5〜8日、全国武術観摩交流大会が遼寧省錦州市で挙行、19の代表隊、127名の男女の選手が参加する。
・5月23日〜6月5日、中国武術組がイタリア東方武術節に招待を受ける。
・6月3〜10日、全国武術大会が湖南省長沙氏で挙行される、31の代表隊と330名の男女選手が参加する。
・8月20〜26日、全国少年「武士杯」武術大会が江蘇省常州市で挙行される。24の代表隊全部で200名の男女
選手が参加する。
・9月、全国散手、太極推手の大会が甘粛省蘭州市で挙行される。 1983年以来挙行されていた散手対抗表演大会を基
にしてこの第一回の大会がおこなわれた。この大会の武術散手は擂台形式により行われ、武術の特徴また民族の風格
を取り入れた物である。
・10月11〜21日、中国第一回国際武術節および第三回国際招待試合が抗洲市、深圳市で挙行される、33カ国の
国と地区、500名以上の男女選手が参加する。深圳で国際武術散打擂台大会、武術理論報告会、閉幕式が行われる
その間に7個の武術大奨を授与する。
・12月20〜24日、中国体育科学学会武術分会が北京で開かれ、全国武術学術問題検討会が行われる。武術の概念、
武徳規範武術運動発展の方向などの問題を展開し検討する。
・12月23日、国家体委が【武術運動員技術等級標準】を公布する。
「1989」
・【武術散手大会規則】を頒布し実施する。
・4月25日〜5月25日、第一回全国武術散手教練員訓練を北京で行う、全国各省から教練員59人が参加。
・6月4〜14日、全国武術套路招待試合団体戦が四川省成都で挙行会。
・7月、全国太極拳、剣及び推手大会が云南省昆明市で挙行。
・9月21〜24日、全国武術套路招待試合個人戦が山東省淄博市で挙行される。27の代表隊が参加。
・10月20〜28日、第一回全国武術散手擂台大会が広西省宜春市で挙行される。全国26の代表隊146名の選手
が参加する。
・10月26〜30日、中国武術研究院、中国武術協会、成都体育学院により四川省成都市において、全国武術論文報
告会が開かれる。
・12月15〜17日、第二回アジア武術招待試合が香港似て挙行される。香港、日本、シンガポール、フィリピンな
ど14の国と地域から104名の男女選手が参加する。
「1990」
・国家体委体育委員会が【武術散手運動員技術等級標準】を配布する、散手選手の区分は武英級。一級武士、二級武士、
三級武士の4つに等級区分される。
・中国武術協会組織編集【中国散手】が出版される。
・8月、全国太極拳、剣、推手の大会が安徽省休寧市で挙行される。
・9月28日〜10月4日、第週一回北京アジア競技会(アジアオリンピック)が挙行、武術が初めて正式種目になる。
男女全能三種(長拳、長、短器械)、太極拳、南拳の項目で行われる。中国、日本、韓国、マレーシア、ネパール、
シンガポール、ベトナム、フィリピン、中華台北、香港、マカオなどの国と地域11の代表96名の男女選手が参加。
・10月3日、国際武術総合会が北京で成立。38の国家体委と地域の武術組織が会員になる。李夢華(中国)が主席、
張全徳(中国)秘書長、マレーシア、イギリス、シンガポール、イタリア、アメリカなどの国の代表が服主席となる。
・11月2〜7日、第一回全国老革命根据地武術大会が江西省井岡山市で挙行される、8省9隊64名の男女の選手が
参加する。
「1991」
・年始に国家体委体育委評定が35の県、市(区)に「全国武術の故郷」を命名する。
・全国体育学院教材委員会武術教材の小組が【体育学院・武術】専門的に使う教材(上下)を編纂する。
・国家体育委が新に修正した【武術競技規則】を頒布する。
・国家体委が【太極拳、剣競技規則】【太極拳推手競技規則】を頒布する。
・2月、北京国際武術散手擂台賽を挙行、選手は6階級別の冠軍(チャンピオン)を取得。
・5月17〜21日、全国武術散手訓練競技工作会議を河南省焦作市で挙行される。
・8月1〜6日、全国武術観摩交流大会が山東省泰安市で挙行、14の代表隊、82名の男女の選手が参加。
・10月12〜16日、第一回世界武術選手権が中国北京で挙行。大会は套路の試合と散手の表演をする。40の国家
体委と地区から500名以上の男女選手が参加する。
・11月25〜26日、第十六回東南アジア運動会武術大会がフィリピンの首都マニラ市で挙行、マレーシアシンガポ
ール、タイ、ベトナム、フィリピンから約50名の男女の選手が参加する。14の金牌を設定。
「1992」
・第四回全国大学生運動会が湖北省武漢市で挙行、武術が初めて大会種目に加わる。
・第一回全国太極拳推手観摩交流大会が山東省済南市が開催される。
・7月、全国太極拳、剣及び推手大会が遼寧省錦州市で挙行。
・第三回アジア武術錦標賽が韓国で挙行される。
・12月5〜11日、第二回全国武術工作会議が四川省重慶市北県で開催される。
・12月12〜15日、雑誌【中華武術】創刊10周年祝賀記念、第一回全国民間武術館(学校)武術招待試合が海南
省で挙行、12の省、自治区、直轄市から18の民間武術館と21代表隊が参加する。
・12月22〜27日、第二回老革命解放区武術大会が広東省で挙行される、32の代表隊、295名の男女選手が参
加する。
「1993」
・第七回全国運動会武術比賽、項目に套路と散手、共に金牌7個ある。丹東、咸陽と成都で予選と決勝を挙行する。
・第二回全国太極拳推手観摩交流大会が淅江省抗洲市で挙行される。
・4月、全国太極拳、剣及び推手の比賽が福建省漳市で家挙行される。
・5月14〜17日、第一回東アジア競技会が上海市で挙行される、武術が正式種目になる。二本、韓国、蒙古、中国、
中華台北、香港、澳門の7カ国と地区の代表65名の男女選手が参加する。
・8月25〜30日、第一回全国「武術の故郷」武術比賽が河南省温県で挙行、全国の各省、自治区、直轄市34箇所
の「武術の故郷」から430名の男女選手が参加する。河南省温県代表隊と河南省登封県代表隊が別々に套路の弾腿
優勝と散手の団体優勝する。
・10月4〜8日、全国武術観摩交流大会が江西省南昌市で挙行される。
・11月21〜27日、第二回世界武術選手権がマレーシアのクアラルンプールで挙行される、53カ国の国家体委と
地区から600を超える選手が参加する。散手が初めて世界大会が大会の正式種目となる。
「1994」
・国家体委が「全民健身計画」と「オリンピック栄光計画」を提出。この二つの計画は武術の担う特別な使命が有る、
健身の効能、またオリンピックに向けて邁進する。
・5月30日、「国家体委武術協会」が名前を改め「国家体委武術運動管理中心」になる。
・6月、全国太極拳、剣と推手の大会が北京市で挙行される。
・8月17〜19日、国家体委武術研究院、中国武術協会が主催して「'94中華武術散手争覇大会」が広州市で決勝
を行う、中華人民共和国建国以来、初めて「武状元」を造る。
・9月12〜16日、国家体委武術研究院、中国武術学会、甘粛省体育科学研究所などが協力して全国武術をテーマ
に検討会を甘粛省敦煌市で挙行する。
・10月12〜14日、第十二回アジア競技会が日本国広島市で挙行される、武術が正式種目になる、14カ国の国
家と地区から78名の選手が参加する。中国武術隊は5個の金メダルをとる。第五回アジア武術総会が同時に挙行
される、袁偉民がアジア武術総会主席になる。
・12月、第一回全国高等学校武術大会が北京で挙行される。
・国家体委武術運動管理中心が天津市で、全国武術訓練工作会議を開く。
「1995」
NEW!!
・3月29日〜4月5日、第六回日中太極拳交流大会が日本の神奈川県で挙行される、中国太極拳代表団が参加する。
・6月1〜12日、中国武術協会が国際武術総合会の委託により、上海体育学院にて国際審判員試験を行う。
・7月、全国太極拳、剣と推手大会が淅江省寧波市で挙行。
・8月17〜22日、第三回世界武術選手権大会がアメリカボルチモアで挙行、56の国から886銘の男女選手が参加
する。大会は套路と散打の二種類で行われる。
・12月15〜20日、全国社会武術工作会議が山東省でひらかれる。
・12月18〜20日、国家体委武術研究院、中国武術協会の主催で「中華武林百傑」選出活動が山東省で発表され
る。百名の武傑、十大武術教授、十大武術名師、十大武術教練、十大武星が選定される。
索引
一般用語
拳種
器械
套路
技法
器械技法
功法
諺訣
年表
武術流派表
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