蘇洲・東洋のベニス
SU ZHOU
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2006.1/1
■蘇洲
上海からオプションでいける観光地として真っ先に上がるのは蘇洲、杭州です。
中国紀行でも紹介している杭州には何度か行っているのですが、蘇洲は今回が初体験です。
別名東洋のベニスと呼ばれるそうで、街の中には沢山の水路(川)が流れ、船頭が舟をこいでくれる「小木船」も有ります。
また、古い庭園や名刹も数多くあり、手軽な観光地と言えます。

虎丘
市内から少し離れた郊外に高さ約36m、周囲約630mの虎丘と呼ばれる小山が有ります、春秋時代末期の紀元前5世紀頃、呉王の天差が父の
闔閭を埋葬した場所と伝えられていいます。虎丘には試剣石や千人石、剣池、雲岩寺塔など沢山の観光スポットがあり楽しめます。
闔閭埋葬の3日後に白い虎が現れ、墓を守ったという伝説が、虎丘の名の由来です。

虎丘の入り口の回りは黄色い壁で囲まれ、その側には川が流れている。
   

橋の欄干には虎の石像がなにげに                    断梁殿門
   

断梁殿門の前には観光客用の篭?が有ります。
   

試剣石
試剣石は、闔閭が名士、干将に造らせた剣の試し斬りをしたとされる巨石。剣で刻まれた溝が残っている。
   

千人石
この岩は千人石と呼ばれ 大きな一枚岩です、この岩の上で、1,000人もの人が高僧の説法を聴いたといいます。
   

雲岩寺塔
中国版ピサの斜塔と言われる雲岩寺塔です。別名、虎丘塔とも呼ばれるこの塔は、宋の建隆2年(961年)に建設された八角七層のレンガ造りの
高さ約47.5mの塔で、明代から傾斜し始め、今は西北へ15度ほど傾いています。次の剣池を掘ったために傾いたとも伝えられています。
   
   

剣池
虎丘の中心に位置する剣池が闔閭の墓所とされる場所です。
古代より呉の国(蘇州地方)は名剣の産地として有名で、闔閭埋葬の際、名剣「魚腸剣」3,000本を副葬したそうです。
その後、秦の始皇帝や三国期の呉の孫権がこの剣を掘り出そうとしたが発見できず、その際にできた穴に水がたまり剣池になったと言われています。
   
   

蘇洲の土産物屋
石で作られた茶壺や蘇洲名物のシルク製品が沢山売られていました。
   
   

寒山寺
「妙利普明塔院」の名で517年に完成したが、幾度も焼失し、現存する建物は清代末のものです。唐代貞観年間(627〜649年)に高僧寒山が
住んだことから寒山寺と呼ばれるようになったそうです。
また唐代の詩人張継の「楓橋夜泊」にこの寺のことが詠まれ、一躍有名になりました。
   

このお寺の鐘は、除夜の鐘としても有名で、この寺の除夜の鐘を聞くと10年若返ると言われています。毎年12月31日になると日本人観光
客が大勢来るようです。
そのせいか寺のあちこちには鐘が沢山置いてあります、私が行ったのは1月1日なので除夜の鐘は聞けませんでした。
   
   
   
   

立派な剣を持った明王がにらみを利かせています。
   

今年の初詣は寒山寺になりました、境内は煙がいっぱい立ちこめて、線香立て?は盛大に炎が上がって暖かかったです。
   
 

拙政園
造園芸術の傑作と言われ、もとは唐の詩人陸亀蒙の住居だったものが元代に大宏寺となったそうです。明朝の1530年ごろ、王献臣という役人
が官職を追放され、故郷に戻り、大宏寺を買い取り庭園にしました。
面積は約4万平方メートル、園内は、東、中、西園の三つに大きく分けられている。広い池を中心に、建物が水面に臨むように建てられ、全体
の5分の3を池が占めている。特に中央の遠香堂、西の鴛鴦舘の眺めはとても美しい。
拙政園と名付けられたのは、西晋の潘岳による「閑居賦」の一節"拙者之為政"(愚かな者が政治をつかさどる)から取ったものだそうです。
   

広い庭園の中は色々な工夫で風景が楽しめるようになっています。
   

前の風景を楽しむために庭園のあちこちに建物を建てたそうです。   渡り通路の下からは湧き水が出ている
   

意匠を凝らした窓から見る景色も格別                渡り通路も景色の一部で美しい造詣を見せています
   

ステンドグラスのような色ガラスの窓からきれいな光が差し込みます  池には鴨が・・・ちょっと寒そうです
   
   

船を模した作りの建物です                     壁も波打った面白い形
   


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